美苦尼・玄娘〜恥辱の西遊記 第55話
引き留めようとする八戒の腕に引っ張られて少しばかりそのスピードが減殺されていたとはいえ、もう一瞬玄娘の声の掛けられるのが遅れていたら、男の頭はスイカ割りのスイカのように飛散していただろう。
今度は男の方が悲鳴を上げる番だった。
「ひぃ、化け物・・・」
悟空の怪異なご面相を目にして尻餅を付き、情けない声を出す。
「化け物はてめえだろ。何だこの一物は」
「兄貴。妖怪の臭いがしねえよ。こいつは人間だ」
「んなこたぁ、わかってるよ。とにかくこの目障りな奴を何とかしてもらわねぇとな。それとも俺様が今すぐ何とかしてやろうか?」
と悟空の腕が容赦もなくその棒の中程を握ってぶんぶん振り回す。
「いてててててっ!」
「乱暴はダメです、悟空さん!」
玄娘はすでに立ち上がっていた。
ただマトモには見られないので、後ろを向いている。顔を真っ赤にして
「あの、施主様、申し訳ありません。わ、私どもは東土大唐からはるばる西天雷音寺に向かって旅をしている僧でして、たまたま御当地を通りかかった所で日暮れになりましたので一夜の宿をお借りしようと立ち寄ったのですが・・・どうも失礼しました。あの・・・このままでは返ってご迷惑お掛けする事になりそうですので、やはり失礼します」
なるべく男の方を見ないようにしてペコリと頭を下げた。
「えーっ」
たちまち八戒が不満の声を上げる。
「ちょっと待ってくださいよ、お師匠様ぁ。そしたら、また空きっ腹抱えて野宿ですかい」
「八戒さん。野宿が気に入らないというのなら、一緒について来なくてよろしいですよ」
地面にへたり込む八戒に、常にないほど冷たい声で玄娘が言い放つ。
「そいつはいいや。俺達は先を急ぐから、てめえはここでやっかいになってゆっくり長逗留してな」
それを聞いて八戒、慌てて立ち上がり
「と、とんでもない。お師匠様、凡愚の迷妄です。愚かなワシを見捨てないで下さい」
男は3人のやりとりを聞いている内にようやく気持ちが落ち着いてきて、服の埃をパッパと払いつつ立ち上がった。
「まあまあ庵主様、お共の方もそう慌てずに。事情は大体わかりました。私の方こそちゃんと確かめもしない内に化け物だなどと失礼しました。何しろびっくりしてしまったもので。事情がわかったからにはぜひ家に泊まっていって下さい」
「うーん?どうわかったってんだぁ?」
訝(いぶか)しげに片眉を上げて悟空は男の顔を覗き込んだ。
「悟空さん、そんな言い方するものではありませんよ。あの、施主様。せっかくのご好意ですが、やはり私どもは・・・」
「お師匠様。お師匠様こそ檀那が喜捨しようというのにそんな事言って拒んだりしたら、檀那の善徳を積むのを邪魔する事になりますぜ」
と八戒、思いっきり他意のある顔付きで口を出す。
「そうですとも、全くこの豚のようなお弟子さんの言う通り・・・あ痛たっ!」
男の四尺余りに渡る持ち物を、悟空が爪先で弾いた。
「だからこいつが目障りだって言ってるだろう」
「悟空さん!」
「はあ、ずいぶん乱暴なお坊さんだよう。たしか西に向かってるとか言いなさったな。腕に覚えがあるなら、泊まっていって一つ話を聞いていってください。この長い一物にも関係がある事なんで」
「という事はやっぱり妖怪が関係しているんだな」
玄娘は悟空が自分の方を見ている事に気付いて、しばらく躊躇していたが、しまいにコクンと頷(うなづ)いた。