美苦尼・玄娘〜恥辱の西遊記 第53話
玄娘は馬の手綱を取って歩き出した。
「あれ、お師匠様。馬に乗らないんですかい?」
荷物持ちの八戒が頓狂な声を上げる。
玄娘は平静を取り繕って
「え、ええ。ずっと座っていたので、少し歩きたいんです」
「はあはあ、なるほど。でもお師匠様は座ってらっしゃらずに、寝てらしてたんですよ」
「え?」
不意打ちを喰らったように呆けた表情になった。
大慌て記憶を探し回る。
「なあに、座ったまんま寝てたんじゃ身体もしんどいだろうと思って、木の影にお運びしたんですよ」
「あ、ああ・・・そうだったんですか」
「ええ、ええ。ですから馬に乗った方がいいですよ。日暮れまでに麓まで降りれる事が出来れば、今夜は屋根のある所で眠れましょうし」
「いや、でも、それは・・・」
「てめえ、うるせえぞ、クソ豚。馬に乗れ馬に乗れって、お師匠様は歩きたいって言ってんだ。それが気に入らねえってのか? そんなに野宿がイヤなら、いま直ぐ真っさらな白木の箱に詰め込んでずっと寝かしつけてやるぞ」
「い、いや、兄貴。何もそんなそんなつもりで言ったんじゃあねえんだ。俺はただ、お師匠様の事を考えて」
「あ、あの、悟空さん。八戒さん。ごめんなさい。私が本当の事を言わなかったのが悪かったのですね」
悟空が八戒にケンカをふっかけ始めたのを見て、玄娘は慌てて口を挟んだ。
「あの、本当は・・・用足しに行きたかったんです。馬に乗ると、し、振動するから。本当に二人とも、ごめんなさい。あ、あの茂みの所に行ってきますから、ちょっとここで待っててください」
そう言いもち、悟空の顔も八戒の顔も見ずそそくさと脇の茂みに分け入って行く。
「なあんだ、そうだったんですかい。へえ、みどもがここでしっかりこのエロ豚を見張ってますから、お師匠様は安心してやっつけてきてくださいよ」
「ひでえなあ。俺だって出家してからずっと戒を守ってんのに」
そう言いながら八戒は、腹の中で舌打ちを打った。
玄娘の顔が赤い理由を知っているだけに、本当はいてもたってもいられないのだ。
覗きに行きたくて行きたくて仕方がない。
もしかしたら、オナニーしているかもしれないのだ。
せめてと耳をそばだてるが、草を引き千切る音が微かにしただけで、ほとんど様子がわからない。
実際のところ、悟空がいなければ覗かれるどころか、玄娘はとっくの昔に八戒に犯されていたところだ。
玄娘は股間のヌメリを草で拭いながら、次第に気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
なんだか、頭がおかしくなってエッチな妄想に取り付かれていたような感じだ。
悟空に一刻も早く抱かれたいと熱望していた思いも、今は理性で抑え付けられるほどになっていた。
もうなんともない。
僧としての自覚が回復しているのを感じていた。
取経の責任と新しい知識への欲求に皮膚が引き締まる。
しかし考えてみれば、とそこで玄娘はフと思った。
それこそが私自身の煩悩なのではないか。
夢の中で烏巣禅師の言っていた事が、玄娘の中に少し残っていたのかも知れない。
いっその事、本当に悟空に抱かれてしまえば、この胸の中の鈍い苦しみからも開放される事が出来るような気もする。
しかし、たとえそうであっても、そんな事は出来ないのだ。
俗塵に汚れた身体で、果たして仏に見(まみ)えようか。
もちろん、菩薩におすがりして身を清められる事も考えられよう。
だが、それとわかって肉欲に身を任せようとする根性の卑しさは、如何(いか)にして清められるというのか。
それに、悟空にそんな事を言ったら軽蔑されてしまうに決まっている。
それも怖かった。
玄娘は衣服を整えながら、取り留めのない思いを振り払うように自分に言い聞かせた。
とにかく、今は旅を続けるしかない。
経を持ち帰って衆生の救いとせねばならないのだ。
そう言えば、髪もずいぶん切ってないな。
唐を出てからいろいろあって髪を剃る事も忘れていた。
時々思い出すのだが、水のある所まで来たら、とか、今度寺が見つかったら、とか思っている内に、しばらくすると忘れてしまい、いつの間にか前髪が自分で見えるほどに伸びてしまっていたのだ。
俗女にすれば短いが、男にすればちょっと長いぐらい。
よっぽど髪質に恵まれているのだろう。
旅の最中にありながら、ほとんど痛む事もなく、滑らかな手ざわりを返す。
切り落とすのがもったいないくらいだ。
髪を撫でながら、まあもう少しくらいいいか、と思い直した。